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2011年9月

2011年9月30日 (金)

落語:噺家さんを取り巻く不思議な世界

世の中には数多の芸術があり、
その表現者も数多いるのだが、
落語:噺家さんほど直接的な批評、
批判に晒されている存在は、
他にないのでは?と思う。

例えば、ライブの後にジャズミュージシャンに向かって、
①「今日のあのスタンダード曲は、◯◯年の誰々の演奏の方が良かった。」とか、
②「あのアドリブソロは長過ぎた。もっと短い方がすっきりして良い。」とか、
③「あの曲のあの部分の音出しは、大きすぎて耳障りだった。」とか、
④「あそこで、ミスタッチしたでしょう?」とか、
面と向かって誰かが言っているのは、聞いたことがない。

心の中で個人的に思ったり、
ライブを聴きに行った仲間同士で、
そんな事を言い合ったりすることは当然あるけれども、
それを、直接本人にと言うことは、まず考えられない。

演奏のあとに、プロの音楽家に向かって、
素人の聴衆(個人)が、
当人の芸の「レベル」を面と向かって「評価」したり、
他と比べて、上下ランク付けたりなんて、絶対しない。
誰かがそんな事を言ったり、したりするのを、
聞いた事見た事も無い。

ところが、落語:噺家さんの世界では、
「お客様」と呼ばれる人たちが、
日常的に、直接、落語:噺家さんにダメ出しをする。

①「今日演った◯◯(有名な古典落語の演目)は、
  ◯◯(名人と呼ばれる人の名前)のが最高だ。」
②「あの夫婦の下りは、たっぷりやり過ぎだ。
  もっとサラッとやらないと、あの夫婦の良さが伝わらない。」
③「あそこは、大きな声で言うようなところじゃない。
  もっと、しんみりと語らないとダメだ。」
④「あの台詞のところで、かんだだろう?」
と、まぁ、こういった感じのことを、
噺家さんご本人に向かって、普通にズケズケと言うのである。

耳に痛い事「も」言ってくれる人が、本当の「お客様」?
「芸人は客が育てる。」なんて言葉も聞くけれども。
師匠でも、プロでもない「お客様」の意見を
噺家さん達はどう聞いている(聞いていない?)のだろう?

まぁ、「お客様」が何か言うのは、
落語:噺家さんに対する愛情や期待あってこそ、の、
ご意見、批評、批判なのだろうから、
それはそれとして。

「お客様」のご意見、批評、批判をきちんと受け入れ、
改善に結びつけ、質を上げて行く。
これはなにも、落語に限ったことではないし、
どんな仕事にでも、
(製造業の営業に携わる私のような仕事に当てはめても、)
基本的なことだ。

それでも、
噺家さんだって生身の人間なのだから、
完全上から目線で滔々とダメ出しされたり、
考えに考えて自分なりに工夫をした噺に、
(笑っているお客様も結構いたのに)
「あれは、いらない」なんて言い切られたら、
やっぱり傷つくと思う。
そういう機会が落語:噺家さんは、
たぶん、とっても多い。

私だって知らず知らずのうちに、
余計な感想を言って噺家さんを
傷付けているのかもしれない。

晒される芸、とでも言うのだろうか。
そうやって、長い間、傷つきながら、
磨き上げらてきたのが落語:噺家さんなのかもしれない。
逞しくも、不思議な世界だ。


 

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2011年9月26日 (月)

神様2011/川上弘美

くまにさそわれて散歩に出る。
大好きな、大好きな、川上弘美の「神様」の書き出しだ。

その1993年作の「神様」と
2011年の3月に書かれた「神様2011」の2編
そして川上弘美さんご本人の「あとがき」からなる本だ。

「神様」を初めて読んだときに泣いた。
私の大好きなもの、大切なもの、幸せの記憶が、
この話には凝縮されている。
そんな気がした。
読み返してまた、やっぱり涙がでた。

だから「神様2011」を読むのがちょっと怖かった。

「神様2011」は、
震災以来、私自身の抱いてきた、
怒りや、悲しみや、そしてよろこび、
様々な言葉にならない感覚を反映していた。
変わってしまった日常。
大嫌いなもの、目を逸らしたいもの、不幸せの記憶、
実はそんなものと一緒に、
大好きな、大切な、幸せな記憶が存在している。
2編を続けて読んだら、そんな気がした。
それでも続いて行くのが日常だ、と。

川上さんは
「生きることそれ自体がよろこびであるはず。」
と、あとがきの最後を締めくくる。

こういう物語を、文章を、書いてくれる作家がいる。
生きているとこういう物語や文章に出会える。
くまが語った「縁」である。
熊の神様のお恵みが、私の上にも降り注ぎますように。

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2011年9月22日 (木)

「勧告」と「指示」

台風15号は首都圏も直撃。
都内道路、駅周辺は3.11以来の大混雑。
帰宅困難者も出た。

午後2時過ぎ。
本社の役員が、私の勤務するグループ会社の事務所にも、
帰宅「勧告」に回ってきた。
「仕事のキリがついた人から、帰って良いですからね。」
交通機関が麻痺して、帰宅困難になる危険があるので。
「女性陣から優先的に帰宅させるように。」とも。

3時を回る頃には、
11F、12Fの本社及びグループ会社の事務所から、
女性陣(内勤職)がいなくなる。
新幹線通勤など遠距離通勤の男性陣も続々と退出して行く。

社内唯一の「営業職」であり、女性である、
微妙な立場の私は、平日の午後のいつも通りに、
次々とかかってくる、客先からの電話やメールに応対しながら、
迷っていた。

「そっちは、雨凄くなってきた?」(馴染み客@九州)
「はい。会社が帰宅勧告を出したので、
 今日はもう女性陣は失礼させていただいてるんですよ」(私)
「あれ?nibansenjiさんは女じゃないの?」(馴染み客@九州)
「まだ、女は捨ててないつもりなんですけどねぇ〜。ふふん。
 私は家が会社から近いし、いざとなったら徒歩でも帰れますから。
 で、見積りの件ですが。。。。。」(私)

そう。
営業職という立場もさることながら、
会社の一番近く(地下鉄で2駅)に住んでいる私が、
とっとと帰っていいの?っていう遠慮もあった。
3.11の時だって、普通に歩いて帰れたし。
このまま定時(6時)まで働らくかなぁ。。。。。なんて考えた。

気付けば、私は事務所にひとりぼっち。
本社には10名くらいの男性陣がまだ働いているようだけど。

そして、3時45分頃。
永年勤続リフレッシュ休暇中の社長から電話が入った。
「まだ、残ってたの?
 明日出来ることは、明日にして帰宅して下さい。」
おぉ!これは帰宅「指示」ではないか?
アラブの格言のごとき(明日できることを今日するな。だったっけ?)
社長の帰宅「指示」に後押しされて、
やり取り途中のお客様に次々と電話をかけ、メールを送る。
「申し訳ございません。帰宅「指示」が出ましたので、
 私も本日はこれで失礼させていただきます。」

4時少し前に事務所を出た。
会社から駅、最寄り駅から自宅の、
各々10分足らず歩いただけで、
下半身がずぶ濡れになった。

熱めのシャワーをあびて一段落。
せっかく早く帰れたので、TVで大相撲を見る。
ご贔屓の杷瑠都くんは負けてしまった。残念。

6時からのニュースを見ると、
なんと、さっきまで普通に動いていた、
通勤経路の地下鉄が止まっている。
道玄坂では街路樹が倒れているし、
ターミナル駅は震災時のような帰宅困難者で溢れかえっている。
ひどいことになっているではないか。

窓の外は風ゴーゴーと音を立て、土砂降りの雨。
定時で退出していたら、地下鉄が止まっていて、
この雨の中をとぼとぼと、歩いて帰って来なければならなかったのだ。

社長の出してくれた帰宅「指示」のお陰で、
豪雨の中、徒歩での帰宅を免れることができた。
一番お気に入りの傘も無事だった。

日頃ニュースでなんとなくぼんやりと聞いていた
「勧告」と「指示」の違い。

この意味の違いが実感できた今日の台風。

今もたくさんの人々に避難勧告や避難指示が出ている。
被害がこれ以上広がりませんように。

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2011年9月14日 (水)

新しい前座さん

好楽師匠のところに、
9月から新しいお弟子さんが入門した。

三遊亭こうもりさん。

昨日初めて高座を聞いた。

入門前は、お笑い芸人さんだったとか。
(ごめんなさい。名前は忘れた。)
というだけあって、
お客様の前で話すことには慣れているらしい。
さほど緊張する様子も無くマクラもこなして、
小咄「夕立や」をさらっと。

こうもりさん、
先日も寄席後のきつつき兄さんの誘いをことわって、
中山秀さんの宴会に行ったそうで(きつつきさんマクラより)
芸歴も長い(らしい)し、
声も出てるし、滑舌も悪くない。

でも、落語を聞いた気は全然しなかった。

きっと、上手いとか下手とか、
そういうことではないのだろうな、と思う。
以前、兼便さん(やまちゃん)の噺を聞いたときに、
感じたのと同じ。
漫談や一人芝居とは違う、
落語ならではの表現方法は、
まだ身に付いていないのだ。
入門したてだから、当たり前なんだけどね。

とはいえ、
円楽一門はまだまだ前座不足。
もっともっと、若い新しいお弟子さんが、
どんどん入ってくるといいなぁ。
できれば、
好吉くんくらいにこやかで、
笑顔の素敵な若い前座さんが、
増えてくれると嬉しいんだけどなぁ。

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